昼くらいに下北沢の駅で待ち合わせして、ヴィレッジヴァンガードに行って、値段だけ高い変な椅子とか見て、ディスクユニオンで好きなレコードを安く買って、カフェでメシを食って駅の周りを一時間くらいぶらぶらしたんだけどもうそれで吉田は飽きたみたいだった。俺は序盤から飽きていた。ヴィレッジヴァンガードは俺たちがあと十年も若ければ目を輝かせていたのかもしれないけど来るのが十年遅かった。楽しいって気持ちも齢をとる。それは恋する気持ちもおんなじで、俺は吉田のことが好きだし吉田も俺のことが好きなんだろうけどガキの時分に彼女が俺に向けてた眼差しに比べて今の視線には皺が刻まれているのを俺も知っているし吉田自身も多分自覚している。それでも俺たちはわざわざそういうのを確認するようなことはしない。皮肉なのはそれこそが齢をとった証明であることだ。
もう帰ろうかなんて言わなくても俺たちは駅の方に向かって歩いた。だけど吉田も、もっと言えば俺が「ちょっとあまりにも無味かもしれねー」という気分で、しかしどうしようかというときに「楽園」という劇場が目に入って、そこでこれからお芝居が始まるということが書いてあって、だから俺は吉田に「ちょっと観ていかない」と言ったのだ。齢とったとはいえ俺たちも実のところまだ若いのかもしれないと思いながら、吉田と一緒に地下の会場へ続く階段を降りる。
お芝居は、校舎の地下で誰にも内緒で友情を育む若者と清掃員のおじさんが、数年後に再会し、謎の男も巻き込んで街に突如現れた不思議な屋敷を探訪する、というようなすじだった。文学的な語り口になるのかなと思っていたが後半なんかは映画でいうところの活劇のジャンルで、しかし文学的な着地をする。ここでいう“文学“というのは、さっき書いた語り口としての“文学的”とは少しニュアンスが違う。小説でなくともいいが、何かを読むという行為は、それ自体が、かつてあってしかし今ここにはない過去というひとくさりの時間を現在の中に出現させることで、紙に書き付けられた文字はそれひとつひとつでは意味をなさないが連なることで大きなものに変貌する。今書いたことが文脈というより構造として物語の中におさまっているようなお芝居だった。そしてその“大きなもの”は、だからその性質上必然的に物語の中で帰結するのではなくて見ている観客っていうかたとえば俺の中に染みこんできて共振し変容した。変容したのは、俺がである。
ここだけの話俺は少し泣いてしまったんだけどもそれはなんていうか感動したというのともちょっと違う。俺がお芝居を見ながら考えていたのは、お芝居の中の登場人物たちではなくて俺が吉田と出会った頃、つまりは小学生の頃のあいつらのことだったのだ。
今となっては思い出すことはもうほとんどなくなった。吉田は、俺に比べればまだそんなことないとは思うが。吉田を含めて五人の小学生の俺たちは幼稚な冒険を何度もしたし、夜中の学校に忍び込んだりもした。ずっと一緒にいた気もするけど、それでも鳥瞰すれば小学生という限られた期間の短い付き合いだった。今頃どうしているんだろうかと思わなくもないが、会いたいわけではない。同窓会は開くことも開かれることもない。本当ならお芝居から想起するのは大学生の時分であって然るべきだが、隣に座る吉田が俺に小学生の時代を選ばせたのだ。
劇場を出て吉田が伸びをして「面白かったねえ」と笑ってから、すぐに俺の様子に気づいてどうしたのと顔を覗き込んできた。俺がわかりやすいのかとも思うけど、吉田が俺をよくわかってるんだろう。大概のことには気づけないと自認する彼女がそれでもこれだけは誰にも負けないと矜持を持つのが、俺の表情の機微なのだから。俺は観念して観劇中に考えたことを白状した。吉田はひとしきり「スゴーイ」だの「私普通に面白く観てただけ〜」だの言ってから、ちょっと黙って、口を開いた。
「それじゃあさ、あなたもあのお芝居みたいに、昔のことを書いてみたら?」
「そんなの書けねえよ、俺は小説家じゃねんだし」
「別に小説家になれってわけじゃないよ。私が読みたいだけなんだから私に向けた長い手紙だと思って書けば」
「長い手紙ねえ……」
ぶつくさ言いつつ、俺はそれもいいかもなと思う。俺たちは齢をとる。あんなに必死だった冒険を、俺は“幼稚”と形容するようになった。こうしてふたりしてダラダラ過ごした今日のことも、十年後の俺たちが思い出してくれるとは限らない。思い出せなくなるのならまだいい。思い出してもそれが他人事のように感じる距離のひらきが恐ろしいのだ。
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それからというもの、彼は自分の部屋で何事か懸命に書くようになった。小学生の頃のことを書くんだと言っていたけど、私はまだ読ませてもらっていない。読んだら私も色々思い出すだろうか。彼はどこまで憶えているんだろうか。そう考えると少し笑ってしまうけど、そのあといつも寂しい気持ちが私に残る。振り返れば思い出はいつもきらきらかしら。
小学生の頃、私はずっと体半分たのしかったけど、もう半分は苦しかった。彼にはずっと好きな人がいたのを知っていて、それは私じゃなかったから。今はどうかわからない。だけどそうじゃないとも言い切れない。あなたの気持ちを量るのが得意だなんてさんざ言ってきた私だけど、深いところは私、本当は分からないんだよ。
彼が出かけているときに部屋の掃除のはずみで、机の上に散らばった書きさしの文章をチラリと盗み見てしまった。ちゃんと完成するまで読むつもりはなかったから、表紙?のところだけ。題名はなかったけど、なぜか署名があった。何の気恥ずかしさなのか、本名じゃなくてペンネームだった。【江戸川乱歩】と書いてある。江戸川乱歩って、あの日私たちが観たお芝居に出てきた名前と思ったけど、すぐにそうじゃないと私は気づいてしまった。「江戸川」は彼の苗字。「歩」は私の名前から採っている。それでおしまいにすればよかったけど、知りたいことこそ分からないくせ、気付きたくないことばっかりがいつも目につくものだ。残る一字はあの女の名前じゃないの。「乱」なんて漢字だけ変えて誤魔化したつもり、本当は「蘭」としたかったんでしょう。あの頃を思い出そうと言いながら、この長い手紙は本当にぜんぶが私だけに宛てられているの。今も私は体半分たのしみだけど、もう半分は苦しい。知る必要のないこともある。思い出さなくても良いこともある。部屋の窓から白い光がさしていた。私は顔をあげて、それを無理やり凝視する。欲張らずに今のことだけただ懸命に目を向けて、決して後ろを振り返らなければこそ思い出はいつもきらきら。
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突然御手紙を差し上げますぶしつけを、幾重にもお許しくださいまし。私は日頃、先生のお作を愛読しているものでございます。別府お送りいたしましたのは、私の拙い創作でございます。御一覧の上、御批評がいただきますれば、この上の幸いはございません。或る理由のために、原稿のほうは、この手紙を書きます前に投函いたしましたから、すでにごらんずみかと拝察いたします。如何でございましたでしょうか。もし拙作がいくらかでも、先生に感銘を与え得たとしますれば、こんな嬉しいことはないのでございますが。演劇とっても面白かったです。