私が今暮らしている部屋を借りたとき、「トキワ荘の青春」を思い出していた。
すべての若者がそうであるように私もまた「まんが道」をはじめとするトキワ荘にまつわる作品を読んで胸打たれた一人であり、そしてまたすべてのそういう人たちが其々のトキワ荘を借家の候補に探すようにして私は不動産屋さんに「トキワ荘の青春」って観たことありますか?ああいう部屋に暮らしたいんですが、と訊いた。
不動産屋のお兄さんは「見たことありませんね」と言った。「だけど探してみます。」
私は結局、トキワ荘に比べれば交通の便が良く、駅近で、少し広い部屋を借りることになった。それでもそのアパートは木造で、畳の部屋で、風呂がなかった。
はじめての夜、家具がほとんど何もない部屋で、DVDの「トキワ荘の青春」をひとり観た。作品の中で入居してくる若者のようなきらきらした気持ちには何故かならなかった。やってやるぞという気持ちにはならなかった。トキワ荘の青春その時代より地球は温暖していて夏が暑く、そしてエアコンがあった。
私は結局、トキワ荘に比べれば交通の便が良く、駅近で、少し広い部屋を借りたのだと思った。映画の中のことは映画の外には無く、そもそも私は漫画家を目指していなかった。
そんな夜からしばらくの時間が経って、私にも少しだけども友達ができたりして、家でちゃぶ台を囲んで酒を飲む夜があったりもした。その頃に比べれば集まる頻度が少なくなった友達と映画館で「トキワ荘の青春」を観た。やっぱり、別に、自分たちと作中の彼らを重ねたりはしなかった。それでももちろん素晴らしい映画だと思ったけど。また別のことなのだ。悲しいことではない。
劇場が明るくなると友達のひとりがむせぶほど泣いていた。
私たちはとんかつ屋で定食を食べて、昼からビールをわけわけして飲んだ。帰り道の電車の中で、私は部屋でひとりDVDを観た日のことを思い出した。