2021/05/22

シャーレ新作映画&ティザー映像 出演者募集

① 2021年夏に催される演劇祭「三十九祭」にて発表される排気口新作演劇のスピンオフ企画として澁谷桂一監督・脚本の映画をシャーレが製作します。
② 2021年末上演予定の排気口菊地穂波個人企画公演「金曜日から」のティザームービーも澁谷が監督いたします。

上記①と②の出演者募集が始まりました。
※どちらの募集も、演劇作品への出演ではございませんのでご注意下さい。




『ミラキュラスウィークエンド・エセ(仮)』
企画・原案 菊地穂波
監督・脚本 澁谷桂一
製作 シャーレ



『金曜日から』
作・演出 菊地穂波
映像監督 澁谷桂一


≪排気口≫
2011年、作・演出の菊地穂波を中心に和光大学にて旗違げ。「死」を作品の主題とし、さまざまな傷をかかえた人物たちを、想像力に希望を懸けたリリカルなストーリーと、その随所にちりばめた多層約な言葉のおかしみによって描きだす。
誰しもが思い当たる人間の悲哀と、どうしようもなくくだらないユーモアが、舞台上であぎやかに結びつくとき、悪いがけない生の煙きが誕生する。

シャーレ新作映画出演者募集

大谷皿屋敷(劇団「地蔵中毒」)脚本/澁谷桂一監督の映画をシャーレが製作します。

その映画への出演者募集が始まりました。



『仲良くなりそうでならなかった奴(仮)』
監督 澁谷桂一
脚本 大谷皿屋敷
製作 シャーレ

大谷皿屋敷
1989年、北海道生まれ。劇団「地蔵中毒」主宰。 大学時代に学生落語全国大会てんしき杯にて優勝、詩のボクシング全国大会にて準優勝を経て、そろばんの先生に50万の借金をして上京。 2014年に、劇団「地蔵中毒」旗揚げ。 極端に生活力が低く、ゴミ屋敷に住む。自宅のゴミ屋敷を掃除してもらう「ゴミ屋敷掃除ワークショップ」や「観客がジャガイモを握りながら観る演劇」を開催する等、自分でもよくわからない活動を続け、小劇場界から黙殺され続けている。
近年の活動としては、劇団「地蔵中毒」第12回公演『おめかし、鉄下駄、総本山 削ればカビも大丈夫 (村の掟 全無視 Edition) 』(下北沢駅前劇場)、第13回公演『宴たけなわ天高く円越える孫世代』(下北沢ザ・スズナリ)などがある。他にも、安藤玉恵による一人芝居劇『SAVE THE どん平 安藤玉恵による"とんかつ" と"語り" の夕べ vol.1 切断』で作・演出、WOWOWオリジナルコントドラマ『松尾スズキと30分の女優』で脚本参加している。

2021/05/07

回転

 私が昨年「透明人間」を観たときに、「なぁんだ、そっちなのかぁ」と思ってしまった不満というか嗜好を鮮やかに掬ってくれた。私はこういうものが観たかったしこういうものが好きなんだ。61年に作られていたのだ。良かった。


 冒頭の「想像力はあるか?」という台詞がこの映画の醍醐味を象徴しているわけだが、「想像力はあるか?」というのはすべての創作を鑑賞するにあたって鑑賞者に向けられている言葉でもある。

 いったんホラー映画というものを具体例として申し上げれば、(少なくとも私は)一度も目にしたことがない幽霊というモノを映画の中で目撃する。その時、「えぇ?なにそれ?幽霊なんていないのに?」と斜に構えた、というかリアリティラインを自分の人生経験のみに依拠する態度をとっていては、なにも楽しめない。楽しむ資格がない。

 もちろん前述したようにこれは具体的であってすべてのフィクションに言える。

キムタクがクリュウと名乗り検事をやっている姿を見て「俳優の木村なのに?!」と思ってしまうなら木や草と話をして大人になる前にどこかへ連れていかれてしまうだろう。

創作を楽しむために必要とされる前提は想像力なのだ。


 翻って、作品の内部のことで言えばこれが素晴らしいなと私が感じるのは、主人公が子供たちに対して彼らの「想像力」を否定すること。しかも主人公自身の想像力で以って。想像力が想像力を否定し破壊する。

それは許されることではない。だから罰が下るのだ。これは逆説だ。


 ひとつの作品について解釈が何通りもできるということは素敵なことだ。きっとそういう作品については、作者の意図を外れた考察もあるだろう。そのとき、作品はたんなる誰かの創造を超えて人にとっての世界(自然)に一致する。それこそが本当に素敵なことで意義深いことだ。

 上記の私の解釈は文字通り私の解釈でしかない。誰かに正論として提出するものではない。他人の想像力を否定するようなことはしたくない。罰を下されたくない。


https://filmarks.com/movies/16127