キャスティングの時点で気付いてもよかったようなものだけど、これは魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」ではないのだ。その宣言というか、態度の表明があのキャスティングと特に男性陣のビジュアル(髭とか髪型とか)にあらわれていた。これは冨永監督が魚喃キリコの漫画を読んで、文字通りの"原作'として、自分で脚本を書いて、撮影した映画なのだ。だからこれは冨永監督「南瓜とマヨネーズ」なのだ。
冨永監督はなぜそのようにしたのか?
それはわからない。
わからないけども、魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」を読み返しておれが思ったのは、この漫画を「映像化」しても面白くならなそう〜という予感だ。つまり完成されているのだ。それを映像でなぞってみたところで漫画に勝てるわけがない。漫画の読後感は得られない。原作を読んだ人のブログをいくつか巡ってみたが(他の魚喃キリコの漫画への感想と同じように)、「映画のようだ」という言葉が多くあった。
つまりわざわざせんとも原作で充分なのだ。魚喃キリコが好きならこんなの見ずに魚喃キリコを読めばよくないか?
なるほどねぇ……
ではそれでも映画にするとした時、どうすればよいのか。その手段として「どこか似ているけど別のもの」を作るというのは、悪手とおれは思わない。
漫画だから成立する散文詩のようなモノローグを削減し、オープニングのモンタージュとかキスシーンの故障のような演出(あれって俺がアマプラで観てるがゆえのバグなのかな?そうだとしてもすごい、だって壊れてるもの)、せいいちがバーテンになる時の1〜2秒の「えっマジでやります?」という足元のショットとか、そういう点がすごく楽しかったし面白かったし好きと思った。
〜余談〜
エモいかエモくないかというのは、「観た人次第」と思うけど、少なくとも監督においてはエモくしようという気は絶対にないと思うな。