2023/07/02

エマニュエル・ボーヴ「あるかなしかの町」感想

 1920年代のパリ郊外「べコン=レ=ブリュイエール」という町についてが淡々と描写されていく。──と書いてしまえばもうこれ以上この本について説明できることがない。むしろ説明できることが一瞬で済んでしまうというそのこと自体への感慨(のなさ)がこの本を読んでいる時に私の内側にどこからともなくたちあらわれ、輪郭を結ばないままゆれてざわめいた妙な気分に似ている。「あるかなしかの町」というのは邦題だが、まさにズバリのすごい題名だと思う。
 べコン=レ=ブリュイエールは実在するか否かみたいなことをあまり考える気にはならない。調べるのも薦めない。調べたところで、おそらくは実在し、しかしながら実在しないという一見矛盾した、しかし納得のいく(納得のいくというのはなんてつまらないことなんだろうかとこれを書きながら思い、また、この本に"納得のいく"要素なんて全然いらないとも思う) 結果が待っている。

 当たり前だがホラー小説ではない。不思議なことも起きない。だけどなんというか、私の読みながらの妙なざわめきというのは、たとえるならば「幽霊を読んでいる」というのが表現として一番近い。私は幽霊を見たこともないし、ましてや読んだことなんかないのだが、そう思う。
 "場所の記憶"というのがある。「地獄先生ぬ〜べ〜」の文化祭の回で扱われた石の記憶と同じ考え方だ。私は幽霊というもののメカニズムは「場所の記憶」で説明がついてしまうのでは?とつねづね思っているのだが、この本に書かれていることも、文章に直截あらわれているわけではないが、ともあれたちのぼるのは、場所の記録であり、記憶であり、やはり幽霊を読むという感触に至る。

 これを読んでて思い出した、内容に全然関係ないことを最後に書く。これは私の記憶について。
「あるかなしかの町」をなぜ読んでみようと思ったのかは思い出せないが、本屋で購入した年度は思い出せる。10年ほど前である。どこの本屋で購入したかも思い出せる。地元の最寄りから二ツ離れた駅前の本屋である。どうやって購入したかも思い出せる。書店員さんに取り寄せてもらったのである。私はその書店員さんに想いを寄せていたのだ。しかし、前述したが、なぜこの本を取り寄せたのかというのは思い出せない。どこの本屋でという場所は分かるが、その本屋の名前は思い出せないし私が地元を離れてからすぐに潰れてしまったからもう店名も分からない。想いを寄せていた書店員さんの名前も顔も思い出せない。私が思い出せることといえばあとはもう、この本を取り寄せてもらったはいいものの書店員さんとのそこから先の展開などなく、また、買っておいて10年ほど経つのにこの本を読んでなかったということで、だから、私の記憶というのはあってもなくても意味がない。あろうがなかろうが本棚に「あるかなしかの町」があって、読んだ。もうこれ以上この本について説明できることがない。

0 件のコメント:

コメントを投稿