角川文庫から出版されたこの短編集に収められているのはどれも独白体形式という共通項がある。そして、これは“小説“という媒体の多くにおける特徴でもあると思うのだけれど、語り手が登場人物の一人である場合、語られるのはすでに過ぎ去った時間についてのものだ。言い換えれば、語り手というのは常に語られる時間からして先の未来にいる。
①日記でもブログでもツイッターでもいいが、自分が体験したことを文章に書き残す行為の根底には、この世界の約束で現れたそばから消えていく出来事を自分の外側で保証せんとする意識があると私は思う。「それを誰かが読む」というのはいわば副次的な結果である。だから、この本の短編のすべてが、(テイとしてではあれ)誰か他人に宛てられた手紙だと前提するのは気が早いように思う。
②収録された短編の多くが、太平洋戦時下の時期についてのものだ。とは言っても、戦争を知らぬ我々が「太平洋戦争戦時下」と耳に目にして思い浮かべる末期佳境の時期ではないように思われる。もしくは、舞台となる土地や登場人物の環境が、戦況に影響薄く居られるか。そういった時期ないし環境を述懐している。
上記二点を踏まえて、太宰治の というよりは編纂の結果としてこの小説群は「大きな出来事の起きる以前の時間」を、「それ以降に起きる大きな出来事」によって失われ尽くすことがありませんようにとの願いが込められているように私には感じられた。大きな出来事とは戦争に限らない。例えば、自殺。
そして冒頭に書いた「語り手が現在立っている時間」というのも、「大きな出来事」の終わった後ばかりではないだろう。渦中もあるだろう。現状失われつつある自分の環境や思慕、しかしそれらがかつて確かに存在したことの証明として、過去を語る。語られる相手というのは、もしかすれば第一に自身なのもしれない。
では、彼らが証明しようとした種々の光景だったりや想いはどのようなものであったか。共通するであろうことは「語られる過去の時間」の彼らというのが、未来の到来を心待ちしているということ。そしてその未来というのは特定の日付を持たない、漠然としているがむしろそれゆえ純粋な意味としての「未来」である。
「明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。」(「女生徒」)
「私は、ばかだったのでしょうか。でも、ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいるはずだ、と私は、あのころも、いまもなお信じて居ります」(「きりぎりす」)
「貴下が、他日、貴下の人格を完成なさった暁には、必ずしもお逢いしたいと思いますが、それまでは、文通のみにて、かんにんして下さいませ。」(「恥」)
「いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。(中略)それではいったい、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。」(「待つ」)
「語られる過去の時間」の彼らが想像している未来は各々の状況に応じて異相を呈し、例えば悲観的な人物にとってそれは必ずしも明るいばかりではないのかもしれないが、どれも「大きな出来事」によって、待望は叶わなくなる。
ここで私が連想したのは、ベンヤミンの「写真小史」における一枚の写真にまつわるエピソードだ。それは悲しい運命を辿ることになる一組の夫婦がまだ幸せだった頃に撮影された、彼らの肖像写真についての話。これについて数年前に読んだ長谷正人「「想起」としての映像文化史」から引く。
「この二人が悲劇的に運命づけられていながらも、なおそれとは違った未来への可能性のなかにおいても同時に捉えられているからこそ、彼(引用者註:ベンヤミン)はこの写真の二人に感動したに違いないのだ。人生の様々な可能性に向かって開かれたままの状態で結晶化している二人の姿に……。」
「この写真から、未来の出来事との関連によって意味付けられてしまうこと(運命としての悲劇)からも、当事者たちの現状認識によって意味付けられていたこと(婚約という幸福)からもこぼれ落ちてしまうような、あり得たかもしれない別の歴史の可能性(「未来における別の幸福」とでも言うべきか)を感じとったと思われる。実は彼の言う「想起としての歴史」とは、そのもう一つの別の未来の可能性、つまり果たされなかった運命の可能性を、過去の出来事の片隅に見出し、それを現在へともたらすことと言えよう」
お分かりの通りこの感想文で使われていた「未来」という言葉は「可能性」と言い換えることができるだろう。戦争、没落、死別──それら「大きな出来事」によって待望された未来はその言い換えたる可能性を断絶される(断絶を示唆される)。ここに絶望というのはあって然るべきなのだがしかし、語られることの主眼には置かれない。ベンヤミンの心を打った「あり得たかもしれない別の歴史の可能性」とは、分かれ道に差し掛かる前の途上の切り抜きであるが、太宰治(というか語り手)もまたあくまで途上の切り抜きおよびその時点で感じていた可能性をこそ記述し、踏みとどまろうとする。なぜか?未来への待望を含む「消え去ってゆく現在の出来事」を自分の外側で“確かにあった“と保証せんとする意識が、書き残すという行為の根底にあるからだ。そして前述のうちでは結果的な副次としたが、これらの小説群は文字通り小説であるから、語り手もしくは書き手たる太宰治本人のさらに先の時間に、読者および読者の“小説を読む時間”が想定されている。“誰かに宛てられた“という感慨は、小説を小説と看做す我々読者の登場で初めて考えに及ぶことができるのだ。そして、語り手たちが保証し証明しようと努力した過去の時間というのは、書くという行為に端を発しながらにして、我々読者が読むことによって、我々の想起の中で完成する。大いなる力というか感慨をかんぜざるを得ないのは、小説とはそもそも単体では媒体の特徴としてしか過去性をその身に宿し得なかったはずということだ。小説というのはやはり、誰かに読まれた時に媒体を超えた時間の連なりとして出現するのか。