うえだ城下町2025 自主制作映画コンテストにて『サンタクロースたちの休暇』が【古厩智之賞】を受賞しました。
映画祭関係者の皆様、ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。そしていつもながらにスタッフおよびキャストの皆様、ありがとうございます。皆様のおかげです。
うえだ城下町映画祭は、"あのうえだ城下町映画祭"という言葉に冠されるような、自主映画をやっている者なら誰しもが抱く憧れもさることながら、審査員長が古厩智之監督であるという点で個人的に強い思い入れがありました。
今より私がずっと未熟で、「おもしろい映画つくりたい」という気持ちがありながら、おもしろい映画の作り方が全然わからずただ漫然と映画を撮っていて、賞に応募してみたり友達に観てもらったりはしても、だから何がどうこうということもなく、焦りと不安が肥大化していった頃。それは賞レースがどうこうではなく「おもしろく作るってなんだよどうしたらいいんだよ」という焦りと不安です。
そんな頃、古厩監督の映画を観て、ものすごい衝撃を受けました。
たとえば適切な脚本の書き方、適切なカメラポジション、それらによる1カット1カットを適切に繋ぐということ。
そういった、観念的な「おもしろい」作り方というより実際の具体例としての「おもしろい」、極端にいえば「正しい」映画の作法のようなものがしめされていたのです。
立て続けに観てその都度、ひとつひとつのシーンに、カットに、まるで作品を通して古厩監督が自分に「演出ていうのは、たとえばこんなふうにやるんだよ」と丁寧に教えてくれているのではないかという錯覚すら覚えました。
こうやるんだ。まだ自分にはできないけど、映画ってこうやって組み立てるんだ。と、混迷の底にいた私は本当に目の前に光がさすような思いがありました。
2019年。『のぼる小寺さん』を下高井戸シネマで観たとき、ラストシーンへさしかかって、「あぁ、この瞬間にもし暗転してそのまま終わったらば凄すぎるんだけど、商業映画はここで終われないよな」と思った瞬間、画面が暗転してCHAIの曲が流れ出したのです。私は、比喩ではなく電流が身体を流れて涙が突発的に溢れこぼれ、「いま死ぬんだ!いまこの瞬間おれは死ぬんだ!!」と感動したのを覚えています。
仲間たちをさそって池袋新文芸坐での上映にも行き、今度は全員で一斉におなじく電流を浴び、全員泣きながら席を立てなくなるという経験もしました。
2019年に公開されたすべての映画のトップは『のぼる小寺さん』であり、数々の天才・巨匠といわれる監督・また自分が敬愛し仰ぎ見る監督というのは何人もいます。しかし私が「自分の映画をつくるために最も勉強した、自分もこんなふうに映画を作れるようになりたい憧れの監督」は古厩智之監督なのです。
だから審査員長が古厩監督であるうえだ城下町映画祭には、ある時期から毎回応募していました。落選のたび「まだダメか」「まだ勉強が足りないか」と落ち込み、都度反省し、次はどうやったら……と試行錯誤する、数えるに情けなさの伴うゆえ数えない何年もがあって、今年ようやく入選17本のうちに決まった時は、ようやく認めてもらえるレベルになった、自分の積み重ねてきた勉強が間違ってなかったことへの安心がありました。
コンペティションはもう運だと割り切っているので、今回の映画祭は古厩監督にお会いして、自分がいかに尊敬して憧れて感謝していて、フィルマークスで他のどのレビューより長文を書いているかを伝えられれば満足と思っていました。
交流会で、古厩監督にふるえながら名乗った際、「あー!サンタクロースの!おもしろかったよ!オレ3回見たよ3回!」と言われた瞬間、私の身体にはまたあの電流が流れました。それから「あそこがいいね」「あれが素敵ですねぇ」とお褒めの言葉をいただき、私はその間はずっと涙を堪えながら全言葉を記憶することに集中し、それから堰を切ったように上記の尊敬感謝愛を伝えました。
「無冠でも関係なし、大満足」と思いました。
授賞式の古厩智之賞発表で自分の名前が呼ばれてからは、ずっと泣いていたので、頭が真っ白であり、ゆえに、史上稀に見る「大人の男性が号泣しながら財布を落とした話をする」スピーチをして、不愉快に思われた方がいらっしゃったらすみません。
でもさぁ、自分がずっと尊敬して、「自分もこうなりたい」と憧れていた相手が、自分を一番好きだと選んでくれたら、人は号泣するし、あたま爆死するんですよ。もうしょうがないよ。
「夢が叶う」とか、そんな言葉があって、そして実際そういうことが起きたりは、する。時々。
でも今回のことは、夢にも思ったことがなくて、だから、嬉しい とは少し違う、まだ字引きに掲載のない感動なんだ。
私があたま爆死しながらスピーチで話した「世にもバカみたいな理由で財布を落とした話」は、「映画をやるしかない」という結論に着地する話。だけど、もしも財布を落とさなくても、私はこれからも映画をつくるしかない。大好きな人に、一作品だけでも一番好きだよと言われて、御自身の名前を頭に冠してもらったのだから。まだ全然背中は遠くて見えない。だけどこの道のずっと先から、大好きな人にこっちを振り返ってもらった。名前を呼ばれたのだ。歩みとめず、追いかけるしかないだろう。
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