『金曜日から』初演の稽古期間おそらく終盤頃だったかにタクシーで菊地穂波さんと相席して家路についた日がある。徒歩に強い価値を見いだし、のちに〈夜風派〉と名乗りすら挙げる我々であるから、帰途にあたりタクシー乗車を選んだことから顧みれば私どもの他にも何人かがいたんじゃないかと推測するが思い出せない。
暗い車内で私たちがどんな話をしたのかというのも記憶に鮮明ではない。私は初演において〈夫〉という役を任されたのだが、二場の終わりに見せ場を持つ夫とその妻である〈田辺さん〉の家庭内での関係性について、というのを、当の二場終わりの台詞のいちいちをあらためながら意見した。具体的にどんなことを意見したのかについては思い出せない。あの頃はまだ新型コロナウイルスへの警戒濃く残る時世であったから、ただでさえ暗い車内のなかでともにマスクをした私たちの表情は稽古疲れの残滓もあいまってその心情を読み取るに難く、私が、もしくは穂波さんが、どんなことを考えていたのかは分からない。
『金曜日から』初演は当初の二〇二一年五月の公演予定がたしか新型コロナウイルスの影響で延期の憂き目に遭い、夏の『午睡荘園』を挟んで同年一二月にようやく上演された。主に台詞なんて覚えられるわけないだろという理由から普段俳優なんてしない私が穂波さんから「自分の企画公演に出演してほしい」と言われた際に「台詞覚えられないんだからできるわけないだろ」とグスり続けたにも関わらず懐柔されてしまった経緯を私は思い出せない。たしか出演にあたり、幾つか条件を出したと思う。それはたとえば〈自分以外に演劇未経験者を複数出す〉とか〈二〇二一年三月までに初稿を書き上げる〉とかだった気がするのだけど、顧みればそのどれも果たされていないのでじゃあどうして出演することになったのかというのがやっぱり思い出せない。ただ、〈組織集団と個人〉というテーマに発して姉妹作品のような『午睡荘園』と『金曜日から』を書くにあたり、穂波さんは私のグズリを突破するだけの熱量を持っていたということか。
夏の『午睡荘園』本番前日、私と穂波さんはバスで家路についたのだが、ゲネプロおよびその撮影の疲れを市営の鉄製揺籠で癒やすようにして、ともども眠ってしまった。目が覚めると終点で、揺籠は私たちが降りるべき駅を通過していた。仮眠でいくぶんか元気になったのと、スマホの地図で現在地をあらためれば家までの道程はほぼ直進で済むということがわかったのもあり、夏夜の一時間弱を私たちは歩いた。どんなことを話したのかは思い出せない。
あれから四年の経つあいだ、呑んだ帰りに夜道を連れだって歩く時々に穂波さんがあの頃の話を出すことがある。そんなときの穂波さんは大人が子どもの頃を懐かしむというよりもむしろ小さい子ども自身がてのひらにつつんだ宝物をひらいて見せてくれるときのような印象を私に与える。
このたびの年の暮れだったか明けだったかにもこの話があった。ついで穂波さんは『金曜日から』再演にあたり、初演を再上演するというのでは意味がない、かつての公演とこんどの公演のどちらにも失礼のないかたちにしたいということ、そのために且つそれゆえに難儀しているというようなことを言った。
「再演だからって楽できるわけじゃなかったですねえ」
〈懐かしむ〉というのはなんて甘美な誘いか。かつて起きた出来事のいちいちをたしかめ、愛で、まるで現在のなかで過去を生きるということは。
だけど私はいま「思い出」という言葉をこの文章の題に冠しながら、かつての出来事が思い出せないということばかりを思い出している。そして不思議なことに、この形骸化された思い出バナシを私はなぜだか悪しからず感じる。私たちの〈かつての出来事〉は、内容こそ忘れてしまったけど私にとっても宝物だ。それは私のてのひらにつつまれながら指のすき間から夜道を照らしている。
おそらくは懐かしさのともなわないかたちで上演されるこのたびの『金曜日から』が一体どんな作品なのか、思い出すどころかまだ知らない私は、それでもとってもとっても楽しみ。また酒呑んで歩こう。
排気口公演『金曜日から』
出演|佐藤暉 中村ボリ 坂本ヤマト 桂弘 神愛莉 大久保佑南 宮地あゆみ 関谷芙雪 丑三宙 安藤るい 成瀬清春
作・演出|菊地穂波
日時| 2025年3月
5日19:30/6日15:00 19:30/7日15:00 19:30/8日15:00 19:30/9日13:00 17:30
料金|予約3500円/当日4000円
会場|千本桜ホール