2021/12/04

仮面ライダー

 夏ごろから仮面ライダーにハマっている。
4ヶ月で220話分の仮面ライダーを、84時間もの時間の仮面ライダーを見ている。
そして、週に5日間8時間わたしはごく普通な社員として働いている。

 先日見終えた「仮面ライダービルド」も、見終わるのが惜しくなるほど自分にとって大事な作品になった。仮面ライダーはどのシリーズも50話ほどで構成されていて、1話が23分程となっている。
 長い時間をかけて見終えたとしても、一編の詩を読んだだけのように通り過ぎていく感覚しかない。作品が過ぎていく、という感覚。終わらないで欲しいと思いながらも終わってしまうのはいつも切ない。

 忘れられないセリフやキャストさんたちの表情、何度も立ち上がる仮面ライダーの姿がある。わたしはただそれを受け取っているようで、自分の中で彼らの姿を特別なものに再編成しているとも言える。
 作品を見ただけではどこまでが監督の意図で、カメラマンの意図で、スタッフの意図で、キャストの意図なのかはわからない。けれど忘れられない程に尊いものの背後には人間の作為がある。創られている。
 その見えない姿をこちらが感じる行為は神様を感じ取る行為とも重なると思った。
自分は神様のことはわからないけれど、神様を信じるひとの感覚はこういうものなのではないかな、と。

 創られることと同じくらいに見出すことにも意味があるはずで、
 作品を見ている時間は労働している時間には満たない。私のことを他人が見定める時に、何で測られるのだろう。
 私が作品とやりとりしている行為や気持ちは自分自身の姿形には現れない。決してアイデンティティにはできない。
 けれどそこには自分の人生でかけがえのない、忘れられない時間が確かに存在する。そのことは作品と自分しか知らない。
 そしてまた、何事もなかったように日常は続いていく。見た時間からも離れていく。感覚が終わっていく。それでも今日もそこに在った自分と作品との関係を、それが自分を自分たらしめてくれると自分だけが信じ続けている。
 仮面ライダーを見るってそこまで大それたことであっていいとわたしは思っている。思っていたいというのもあるけれど、そう思っている。離れていってしまうようで見えない神様がわたしを見守っているような気がする。

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