2021/11/30

生き方の問題

告解のようであくまでも独善でしかないという強烈な自覚を持ちながら(それはおためごかしとはちょっと違う)、それでいてこの小説が「手紙」というテイをとりながらもあくまで「小説」であるという前提によって結局は「生き方の問題」についての告解として成立している。
「手紙というテイ」という設定を以てメタ視線を挿入する→一度書いたことを取り返しがつかないとする/一度書いたけど4万字消したと書くことは"作家"である自分もしくは"作品"であることから逃げようとしているのか?面白がっているだけか?
いつも思うけどどうしてここまで自分というもの、というか作家であるという自分の特権を引き摺り下ろそうとするんだろうと思う。それは反転してやはり強烈な創作欲望への自覚があるように思うし、なんだか苛烈ですらある。

グラビアイメージDVDが文学に登場するのを見たのも初めてだし、グラビアイメージDVDの映像をプロの小説家が本気を出して描写するとこうなるんだとワロタ。その筆致はほとんどテクノロジーに近い。

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